良いこと日記online

日々の良かったことを記録するブログです。主に自分用ですが、共感してくれる人がいればそれは喜びます。

9月21日の良いこと~元実家だった家に新しい家族が住んでいた~

両親が亡くなり、実家は誰も住む人がいなくなった。私も兄弟もみなそこに住むという決断はしなかった。なぜならその家にはあまりいい思い出がないからだ。

私が小学6年の頃、父親が酒に依存するようになった。昼間から酒を飲んで大声を出したり暴れたりする。母親や自分たちが止めに入り、蹴られたりすることもあった。父親が酒に酔ってソファーで寝ている時が唯一の安全な時。父親が起きては困るので音を立てないように過ごしていた。思い返せば悲惨な生活だったなぁとおもう。

 

成人してからもそれがトラウマで、家族を思い出したり家に帰ろうとすると心がざわざわして落ち着かなかった。自分にとって家は安心できる場所ではない。きっと家族にとっても、父親にとっても同じだっただろう。

 

嫌な思い出のある家。それでも何とか買い手がついて売ることが出来た。暗い過去のある家だから更地にすることも考えたが、修繕すれば全然住めるしもったいないのでそれはやめることにした。

 

家を売ってから何年か経ち、ふと思い立った。元実家にちゃんと誰か住んでいるのだろうかと。今はグーグルマップのストリートビューで現状を確認できるからありがたい。早速住所を入れて検索してみることにした。

 

見覚えのある家が画像で出てきた。外観は以前と変わっていない。よく見ると窓のところに洗濯物が写っていた。たくさん干してあるので家族で住んでいるのだろう。庭には私の母が植えたプルーンの木が元気に生えており、たわわに実がなっていた。住人の方がマメに手入れしてくれているのかもしれない。

私はとても嬉しくなった。それと同時にあれほど実家を見たら嫌な気持ちになっていたのに、今見ると温かいオーラを放っているように感じた。住んでいる方がどうか幸せに暮らせていますように。ストリートビューの画面に向かって祈った。

嫌な思い出だった実家。今はきっと幸せな家族が住んでいるのかもしれない。あたたかい気持ちになる良い一日だった。

9月14日の良いこと~雑談はライブ感が大事だと気が付いた~

私は人と会話することが長いこと苦手だった。当たり障りのない雑談が上手く出来ず、どうしたらいいのかかなり悩んでいた時期もある。そのせいで職場に行きたくないと思う日もあった。

 

それが最近、雑談が少し楽しめるようになってきたのだ。何度もいろいろな人と無理やり話をするうちに、コツが掴めてきたのかもしれない。会話の上手い人の立ち振る舞いを観察したり、盛り上がることもあれば全然盛り上がらない会話を幾度も経験し、間やテンポを少しづつ体得できてきたような気がする。

 

雑談が上手くなるコツ、それは様々な人と話をして失敗を積み上げること。雑談が苦手だからと言って、その場を避けていたら経験を積むことができない。リアルで経験せずに、「会話が上手くなる本」を読んだところで、知識は頭に入っても実際の経験が無ければそれも生かせないものなのだ。

 

私が上手く会話できなかったのは頭で考えてばかりいたから。こういう風に言ったら面白いと思ってもらえるかな?とか、こんなこと言ったら相手はどう思うかな、こういう話はこの場に相応しくないかな?とか頭で正解を考えているうちに話が流れていってしまう。会話に正解を求めてしまうと話せなくなる。しかもそういう会話はぎこちなくて堅苦しいから自分も相手も面白くない。

 

その場で思ったことをその場ですぐ相手に返す。相手の言ったことを一旦受け取り、そこで沸いた自分の思いを言葉に出す。会話は瞬間瞬間の即興だ。正解の台本がないから面白い。話を面白くしようと無理しない。沈黙を怖がって無理やり喋らない。ぎこちなくなり会話が弾まなくなってしまう。相手との間に、暖かくて安心感のある繋がりを意識して、会話の間と自然体を心がけることが大事だと気が付いた一日だった。

7月15日の良いこと~ブロッコリーを切っていたら青虫が出てきた~

ブロッコリーを茹でようと包丁で房を切り分けていたら、ブロッコリーらしからぬブヨっとした触感があった。よく見たら青虫がいるではないか。ブロッコリーと同じ緑色だから気が付かずおもむろに触ってしまったのだ。触感がよみがえり急に気持ち悪くなって「ぎゃあああああ!」と部屋に響き渡る叫び声を出してしまった。

 

うねうねしてる青虫を包丁の先に乗せて、窓から出すことにした。ここはマンションの8階。落としたら青虫は死ぬかもしれんけど、近所の公園にわざわざ放してあげるほど気持ちの余裕がない。青虫は窓から下に落ちて行った。

 

青虫つながりで思い出したことがあった。YouTuberのヒカキンさんだ。ヒカキンさんが買ったピーマンの中に虫がいて、このまま外に放しても生きていけないだろうからとその虫を育てることにしたのだ。青虫に「むしお」という名前をつけて。最終的にむしおは蛾になって、そこで外に放してあげたのだった。

 

さすがトップYouTuber。ピーマンの中にいた虫をそのまま外に放り投げず、動画にして見てる人を楽しませるとは。むしおも蛾になって外の世界に飛び立ててよかった。

 

私はそこまでできない!いや出来なくていい。8階の窓から落としてしまったけど、その先は青虫さんの方で何とかしてください。

 

久々に虫を触ってぞわぞわする体験をした。忘れかけていた感覚を感じられた良い一日だった。

6月21日の良いこと~ジモティで新たな気づきを得る~

2回ほどジモティのサービスを利用して、不要なものを出品している。小動物のケージ、少しだけ使ったトリートメント。どれも無料で譲りますと掲載したら、すぐ連絡が来て引き取り手が決まった。

 

まだまだ使えるのに捨てるのはもったいない。しかも捨てるにはお金がかかるものもある。無料でも貰ってくれる人がいて、その後も使ってくれるならすごくありがたい。

 

ただ、これまでは市販のちゃんとした品を出品していたからすぐ引き取り手が見つかったけど、これが自分で作ったハンドメイド品ならどうだろうか?

 

素人が作った完成度の高くないもの。家に余っていたものを使って作った封筒を無料で譲りますと出品してみた。100均とか行けば余裕で素敵な封筒が手に入るのに、無料だからといってわざわざ貰いたい人はいないだろうと思った。それが出品して1時間ぐらいで欲しいという人が現れた。

 

自分の予想を遥かに超えてきた。せっかく作ったから誰かに使ってもらえるのはとてもありがたいが、欲しいと思う人がいるとは驚きだ。タダでもらえるならラッキーと思う人もいるのかもしれない。

 

素人の手作り品を無料とはいえ、出品するのはかなり迷った。封筒なんて大したものでもないし、誰も欲しくないだろうな。貰わなきゃよかったとか思われたら嫌だなとか、頭でいろいろ考えて一旦出品するのをやめる結論に達した。けれど私の心は「出してみてよ、別に誰にも貰われなくてもヘボいと思われてもいいじゃない。出した方が面白いよ」と訴えかけてきた。心の好奇心の強さに負けて出品してみたら、頭で考えた予想を超えてきて、すごくワクワクした。

 

自分の頭で考えた予想なんてあてにならない。やってみなくちゃわからないんだということに気がつけた良い1日だった。

5/23日の良いこと~拾った1円を三吉神社のお賽銭箱に入れた~

この間拾った1円玉を募金箱に入れようと思ったのだけれど、都合よく募金箱が見つからなかった。それならば神社にお賽銭として入れよう、どうせなら行ったことがない神社に行きたいと思い、職場近くの神社を探してみたところ「三吉神社」がヒットした。

 

札幌に長いこと住んでいるのに検索するまで知ることのなかった三吉神社。地下鉄の大通駅から歩いて7分ぐらいのところにある。電車通りの西8丁目。少し前まではこの通りに東急ハンズがあったので6丁目まではよく行っていたけど、その先は歩いたことがなかった。こんな街中に神社があるなんて。街のざわめきの中、急に緑に囲まれた神聖な空間が現れた。

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google map ストリートビューより)

 

周りは高いビルやホテルなどに囲まれており、人工物と神社の対比がより一層神聖さを感じさせるなぁと思った。

 

三吉神社に祀られている御祭神は5つあるそうだ。

大巳貴神(おおなむちのかみ)開拓・医薬・縁結の神
少彦名神(すくなひこなのかみ)開拓・医薬・酒造の神
藤原三吉神(ふじわらみよしのかみ)勝利成功・事業繁栄の神
金刀比羅宮(ことひらぐう)商売繁盛・航海守護の神
天満宮(てんまんぐう)学問・技芸の神

 

商売繁盛、学問にご利益があるので、合格祈願に訪れる人も多いそうだ。今はコロナの影響で仕事が減ってきているから、商売繁盛のご利益があるのは有難い。

 

2日前に拾った1円玉と、財布に入っていた50円玉を賽銭箱に入れて2礼2拍手。具体的に仕事の回復を祈ろうとしたけれど、うまい言葉が出てこなくてそのまま目を閉じ心を空っぽにした。仕事が減る不安。この先どうなるのか不安。そんな気持ちが洗われてさっぱりしたような気がした。

 

拾った1円玉がまだ知らなかった新たな場所へと私を連れてきてくれた。新しい神社を知れた良い1日だった。

5月21日の良いこと~道端に落ちていた1円玉を拾った~

職場の従業員通路入口に1円玉が落ちていた。従業員入口のコンクリートは1円玉の色とさほど差が無く、よく見つけたなと自分で驚いた。見つけたからにはすぐ拾う。だが、道端に落ちている1円を拾う労力をお金に換算すると、1円以上になるから拾うと損になるそうだ。

 

損になるのかもしれないけど、これまでお金が落ちていたら100%拾ってきた。1円、10円、50円、100円。拾ってきた硬貨はどれも小さな額のお金だ。100円拾った時はコンビニに行ってアメリカンドッグに代えさせてもらった(オイ)。とはいっても自分の欲の為に使ったのは1回だけで、持ち主がわからなくなった落ちていたお金は、拾ったらスーパーの募金箱か神社のお賽銭として入れることにしている。

 

落ちているままだったら誰にも使われない。雨に打たれ、太陽の熱にさらされ、誰かに踏まれたり車に轢かれたり。そんな状態よりは拾って募金箱や賽銭箱に入れた方が誰かの元に再びお金が渡っていくだろう。

 

1円でも落ちていたらすぐ拾って助けているおかげなのか、私は結構運が良かったりする。たとえば、自販機で1本ジュースを買ったら3本出てきたことがこれまで4回あった。本当は販売元に電話して戻さなくてはいけないんだろうけど、わざわざ車で来てもらう手間賃の方が絶対高くつくだろうから呼んだことはない。運が良いエピソードが超微妙だ。運がいいというより自販機のジュースを押さえる弁みたいなのが壊れてるだけのような気もする。だけどこれまででそういう体験が4回あるというのはやっぱりお金を拾って助けていることに関係があるのかもしれない、と思いたい。

 

朝、仕事したくないなぁと思っていたけど、1円が落ちているのを見て「お金だ!」とテンションが上がってしまった。それだけで朝の憂鬱さが吹き飛んだことに感謝したい。1円を助けられた良い1日だった。

5月9日の良いこと~ブラジル産の鶏もも肉~

自宅の近所にある八百屋さんに1週間に1回通っている。満足に大きく育たなかった玉ねぎや、小さいじゃがいもなどが沢山入ってとても安く売られているのだ。えのきやしめじなどもスーパーに比べるとかなり安い。さらにお手頃サイズのズッキーニが100円で買える。こんなに安く買えるなんて、と行くたびにいつもウキウキするので八百屋に行くことが密かな楽しみになりつつある。

 

そんなお財布に優しい八百屋さん、野菜だけではなくお肉も売っている。ブラジル産の鶏もも肉が2枚も入って250円と激安で売られていた。こんな安いなんて味に問題でもあるのだろうか?と不安になったけれど、見た目は変な色でもないし美味しそうに見えたので買ってみることにした。

 

家に帰ってきて早速ブラジル産の鶏もも肉を調理する。シンプルに塩コショウを振って電子レンジのグリル機能でじっくり20分焼く。たったこれだけの簡単料理だけれど食べてみたらやわらかくてジューシー!日本の鶏肉よりちょっとだけ肉の厚みが薄く感じられたけど肉の味は変わらず美味しかった。

 

遠く離れたブラジルからやってきた鶏肉。その鶏肉が近所の八百屋に並び、それを見た私が買って食べる。ブラジル産の鶏もも肉が私の血となり肉となる。今日もこうして生かされているのだと感謝の気持ちが湧き出る1日だった。